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ТОНКАЯ РЯБИНА
ほっそりとしたナナカマド

実りそうにもない恋心を、樹木になぞらえて歌っています。

作詞:И.З.スリーコフ(スリコフ) 
作曲:不詳  /  1860〜70年代成立?

邦題
『小さいぐみの木』
『細きナナカマド』など

MIDIと楽譜
(別窓で開きます)


◆原歌詞:1〜5番  バリアントバージョン
歌詞についての解説はガイドの項をご覧ください。
◆和訳と語句

1.
シトー スタイーシ、カチャーィヤス
Что стоишь, качаясь,

トーンカィヤ リャビーナ
Тонкая рябина,

ガラヴォーィ スクラニャーヤス
Головой склоняясь

ダ サーマヴァ トィーナ
До самого тына?

1.
どうして揺れながら立っているの
ほっそりとしたナナカマドよ
柵のすぐそばまで
頭を垂れながら
качаясь【動詞・副動詞形】<качаться
 揺れる、ふらつく。
рябина【植物】ナナカマド。
 バラ科の落葉高木。夏に白い房状花序をつけ、秋から冬にかけて赤い果実をつけます。日本では、北海道で街路樹や公園樹に利用されているほか、本州でも中高山に自生します。
склоняясь【動詞・副動詞形】<склоняться
 傾く、垂れる、身を屈める。
тына【単数生格】柵。

2.
ア チェーリス ダローグゥ
А через дорогу,

ザ リコーィ シローカィ
За рекой широкой

ターク ジェ アヂノーカ
Так же одиноко

ドゥープ スタイーッ ヴィソーキィ
Дуб стоит высокий.

2.
そして、道を横切って
広い河の向こう側では
同じように一本だけ
背の高いカシの木が立っている
через【前置詞】〜を横切って。
дуб【植物】カシ。

3.
カーク ブィ ムニェー、リャビーニェ
Как бы мне, рябине,

ク・ドゥーブゥ ピリェブラーッツャ
К дубу перебраться,

ィヤー・ブ タグダー ニェ スターラ
Я б тогда не стала

グヌーッツャ イ カチャーッツャ
Гнуться и качаться.

3.
私、つまりナナカマドが
カシの木のもとへなんとか行けたらいいのに
だったら私は
しなったり揺れたりしないのに
перебраться【動詞・原形】
(障害などを乗り越えて)渡る、移る。
гнуться【動詞・原形】たわむ、曲がる。

4.
トーンキミィ ヴェトヴャーミィ
Тонкими ветвями

ィヤー・ブ ク・ニィムー プリジャーラス
Я б к нему прижалась

イ・ス ィエヴォー リスターミィ
И с его листами

ヂェーヌ イ ノーチ シェプターラス
День и ночь шепталась.

4.
ほっそりとした枝で
彼に寄り添いたいわ
そして彼の木の葉で
昼も夜もささやきあいたいの
ветвями【複数造格形】
 <ветвь (細い)枝、小枝。
прижалась【動詞・女性過去形】
 <прижаться 寄り添う。
шепталась 【動詞・女性過去形】
 <шептаться ささやく。

5.
ナ ニリズャー リャビーニェ
Но нельзя рябине

ク・ドゥーブゥ ピリェブラーッツャ
К дубу перебраться,

ズナーチ、スゥヂバー タカーィヤ
Знать, судьба такая

ヴェーク アドノーィ カチャーッツャ
Век одной качаться.

5.
だけど、ナナカマドには
カシの木のもとへ移ることができないから
きっと一生ひとりで揺れているしかない、
そんな運命なのだわ
судьба 宿命、運命。
знать〔挿入語〕きっと〜なのだろう。


このページのてっぺんへ  バリアントバージョン



 ガイド   この歌の歌詞は、ロシアの詩人イヴァーン・ザハローヴィチ・スリーコフ(Иван Захарович Суриков、1841〔1837とも〕〜1880)が1864年に書いた詩が元になっています。スリーコフの作品としての、この詩の題名は、『Рябина(ナナカマド)』となっています。
 スリーコフは農民階級出身の詩人で、詩作を独学で学び、民謡風の詩を多く書いています。『Тонкая Рябина』と同様に大衆歌となった『В Степи(ステップにて)』などの作品があります。
 作曲者ははっきりしません。おそらく民間でメロディーが施されたものと考えられます。

 この歌では、恋する男性になかなか近づくこともできず思いのたけも伝えられない女性の心を、柵と道と川とを挟んで立つ2本の樹木になぞらえています。ナナカマドが女性に、カシが男性にそれぞれ例えられています。

ひとりごと
 ナナカマドといえば、小説家の井上靖氏が「雪をかぶった赤い実の洋燈(ランプ)」にたとえたのが思い起こされます。ナナカマドの果実は、もとは小鳥が厳寒期の何も餌がない時期に食べるものという認識でしたが、最近は人間が食べても美味しいナナカマドもあるようですね。
 この女性も、自らをナナカマドにたとえるのなら、ナナカマドの"武器"である赤い実をもって、小鳥にことづてを頼めばよいのではないでしょうか。そうすれば、互いに会うことができなくとも、通信だけはできますし、恋心の苦しみも少しは落ち着くことと思います。

 あともうひとつ大切なことを。日本のサイトでも、よくこの歌を紹介していますが、その解説文に「ロシアではグミは女性の象徴で・・・」などと平然と書かれているものが散見されます。これは一体どういうことでしょうか。
 この歌の主役はナナカマドの木です。ナナカマドはグミじゃありませんし、グミはナナカマドじゃあありません。植物学的に見ても、ナナカマドはバラ科でグミはグミ科ですし、樹勢や葉のつき方など、全く異なっている点はいくらでもあります。
 日本語の歌詞を旋律に乗せるために、「ナナカマド」を「グミ」に変えたことは理解できます。しかし、(一部の人だけだとは思いますが)その日本語歌詞を踏襲してしまったまま、平気の平左で「グミの木」と解釈してしまっている人たちがやたらと目に付くのがどうしてなのか、理解に苦しみます。たしかに、どちらも白い花を咲かせて赤い漿果を実らせるという共通項はありますが、だからと言って一緒くたにまとめてしまってもよいものでしょうか?




バリアント

 1番の歌詞の一部のみが異なっているバリアントがあります。「メイン歌詞」として挙げたほうとは異なっている箇所を、ピンク色で示しました。

◆原歌詞:1番のみ ◆和訳


シトー シュミーシ、カチャヤースィ
Что шумишь, качаясь,

トーンカヤ リャビーナ
Тонкая рябина,

ガラヴォーィ スクラニャーヤチ
Головой склоняясь

ダ サマヴォー トィーナ
До самого тына?


どうして揺れながらざわめいているの
ほっそりとしたナナカマドよ
自分の柵のところまで
頭を垂れながら




参考URL
http://comm.h10.ru/texts/tonkaya.html (メイン歌詞)
http://pesni.retroportal.ru/np3/18.shtml
http://www.all4wedding.com/articles_254.htm
http://prazdnik.smeha.net/show.4.html
http://www.orden.ru/rabina.htm
http://www.rulex.ru/01180661.htm
http://er3ed.qrz.ru/surikov.htm

MIDI作成ソフト:サクラ 第二版(Ver.2.36)

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